平成15年度 所蔵資料展 展示資料一覧<往来物>
[古往来]
1 明衡往来(めいごうおうらい) 伝藤原明衡作 平安後期作 文政9年(1826)刊 大阪・北村曹七板
平安貴族の営む公私の生活に即した消息。大多数は貴族間の往来であるが、僧侶宛の消息も含まれる。最古の往来物の一つと言われる明衡往来の近世刊本。消息文例を収めた往来。題簽に尊円親王御真跡とあるが、親王は書に秀で、青蓮院流(後の御家流)を確立した人。
2 庭訓往来(ていきんおうらい) 南北朝時代作 万治元年(1658)刊
南北朝時代より室町初期にかけて、武家や上層庶民の子弟の学習のための往来が出現したが、その代表的なものがこの『庭訓往来』である。本往来は江戸時代を経て明治初年にいたるまで、庶民用に改編・改訂され、広く普及した。「庭訓」とは、家庭の教訓・家庭教育のこと。
3 庭訓往来絵抄(ていきんおうらいえしょう) 槐亭賀全作 元治元年(1864)頃刊 江戸・吉田屋文三郎(文江堂)板
幕末に吉田屋文三郎がシリーズで刊行した絵抄物の一つ。『庭訓往来』の本文に小さな絵を多数挿入し、さらに本文の左側に簡単な注を添えている。
4 庭訓往来諺解(ていきんおうらいげんかい) 山崎美成(久作)注・序 嘉永5年(1852) 刊 江戸・和泉屋市兵衛板
『庭訓往来』の注釈書で、各状を数段に分けて記し、段毎に割注を掲げ、さらに頭書に本文読み方を小字・付訓の書き下しで掲げる。挿絵を188葉載せている。
5 庭訓往来諺解大成(ていきんおうらいげんかいたいせい) 永井如瓶注 元禄15年(1702) 刊 大阪・平兵衛板
『庭訓往来』の注釈書。『庭訓往来』の本文を幾つかの段に分け、段毎に詳細な割注を施す。注の内容は、語の意味や語法、出典、故実等で、かなり考証的なものになっている。
6 庭訓往来証注大成(ていきんおうらいしょうちゅうたいせい) 永井如瓶作 山崎美成補 嘉永4年(1851) 刊 江戸・榮久堂板
『庭訓往来』の各状を4、5段に分けて記し、段毎に詳細な割注を掲げた注釈書。巻首に漢文体・和文体二様の序文を掲げ、往来の語義や発達・普及、注釈本の展開等について解説する。
7 庭訓絵抄(ていきんえしょう) 作者不明 貞享5年(1688) 刊 江戸・利倉屋喜兵衛板
『庭訓往来』の絵入り本の嚆矢。頭書には、本文中の語に即した絵図を掲げ、語注を添えたものもある。絵柄は、江戸後期の絵抄本のような庶民風のものではなく、貴族風のものである。
[語彙科]
8 両仮名雑字尽(りょうがなぞうじづくし) 作者不明 延宝(1673?1680)頃刊 江戸・松会板
江戸前期に数種刊行された大判の往来。いろは順に、熟語・成語を列挙し、各語の右側に熟語・成語としての読みを、左側に一字ずつのひらがな読みを振る。手紙などに頻出する日用の文字をあつめている。末尾には、単位の一覧等もある。
9 <新板>万字尽(よろずじづくし) 作者不明 元禄(1688?1704)頃刊
「うを(魚)」「貝」「鳥」「木」「花」「獣」「八百屋物」「虫」の8分類に分け、語彙を列記。漢字表記の右側にふりがなを付す。題簽の右半分に内容目次が書き込まれているのが特徴。本学のみの所蔵と言われる。
10 千字文(せんじもん) 周興嗣編著(次韻) 善庵(校閲) 文化4年(1807) 刊 江戸・西宮弥兵衛 板
六朝時代、周興嗣が王羲之の書から千字を選び、四字一句の韻文に編んだもので、同じ漢字を重複して使うことがない。初学者向けの漢字教科書・習字の手本として広く普及した。
11 千字文余師(せんじもんよし) 渓百年 注 天保13年(1842) 刊 江戸・三河屋甚助(誠徳堂)板
『千字文』の注釈書。千字文について「古人博覧の佳作称すべきかな、然れども児童の是を読むを聞くに、訓読をなす者稀にしてその義理に通ずるもの鮮し」として、平仮名による割注と付訓の書き下し文によって、意味を得易くし、児童の学習を助けている。
12 篇冠構字尽・大日本国尽(へんかんむりかまえじづくし・だいにほんくにづくし) 作者不明 文政3年(1820) 刊 江戸・山本平吉板
漢字の部首(へん・かんむり・かまえ)を集めた「篇冠構字尽」、名字・人名用語の「名頭字」「諸家苗字」、地名を挙げる「日本國」等を収録。頭書には、「二十四節」「月(日)の異名」を配している。
13 苗字尽(みょうじづくし) 山栖堂 書 江戸後期 刊 江戸・吉田屋文三郎(文江堂) 板
合計284の苗字をいろは順に列記した語彙科往来。「今川 板倉 市橋 伊藤 伊東 池田」…と続く。
14 小野篁歌字尽(おののたかむらうたじづくし) 作者不明 天和3年(1683)刊 江戸・鱗形屋板
何らかの意味で類字している漢字を一行に並べ、これに和歌を添えて記憶の便を図った往来。『小野篁歌字尽』には寛文2年板系統と延宝3年板系統とがあるが、第1単元が「木・椿・榎・楸・柊」から始まっているのは延宝3年板系統の特徴。
15 訓蒙夷曲歌字尽(きんもうきょうかじづくし) 作者不明 天明8年(1788) 刊 江戸・榎本吉兵衛板
『小野篁歌字尽』の改編版の一つ。字形の似た漢字を集め、行毎に字形の区別を狂歌に綴って示す形式と、単に似た漢字を列挙して字形の区別を示さずにその訓を続けただけの狂歌を掲げるという本書独特の形式での両様で編んだ『歌字尽』。
16 人倫名づくし(仮称)(じんりんめいづくし) 作者不明 承応3年(1654)刊 京都か・刊行者不明
異称『人倫名』。現存本2種の内の一つ(7?15丁)。現存本はいずれも零本であり、異板であるが、この両者により「百官名」から「名字」までの人倫関係の語彙を列挙した往来と考えられる。
17 新板大和日用早学(しんぱんやまとにちようはやがく) 作者不明 江戸後期刊 刊行者不明
「いろは」「名頭」に始まり、数量呼称、単位語等を列記する語彙科往来。末尾には消息例文3例を含む。版式からみて田舎版か。本文中の「苗字・村名」に肥前の地名が見えるので、肥前地方のものかと言われる。
18 <英学捷径>七ツ以呂波(ななついろは) 阿部為任(友之進)作 慶応3年(1867)序 慶応4年頃刊 東京・阿部為任蔵板
英語版の『七ツいろは』。「英字イロハ」の前にアルファベット・数字などをおき、巻末に子母五十韻字を収めたもの。ローマ字・かな・漢字など7体のイロハ音字を並記する。
[消息科]
19 消息往来(しょうそくおうらい) 作者不明 坂川暘谷(芝泉堂) 書 天保5年(1834)刊 江戸・和泉屋吉兵衛 板
消息に多用される語句をあつめた往来。「凡 消息者 通音信 贈答 安否 近所 遠国 長途 不限何事 人間万用達之基也」と起筆し、「先 書状 案文 手紙 取扱文字 一筆 一翰…」
と書簡の呼称から時候の言葉等を列挙していく。
20 消息往来余師(しょうそくおうらいよし) 松亭金水 注・序 天保13年(1842)刊 江戸・吉田屋文三郎板
『累語文章往来(消息往来)』の注釈書。本文を無訓で示し、続いて割注の形で注釈を入れる。頭書には本文を楷書・付訓で掲げる。注釈は童蒙向けの平易なものであり、所々に典拠や故事を示しながら解説する。
21 和筆専用(わひつせんよう) 作者不明 享保14年(1729)刊 大阪・河内屋茂兵衛 板
前半に月ごとの消息文例、後半に詩歌を収録する。前半の消息文は、差出人を「伊勢守」「紀伊守」「若狭守」「土佐守」等とするのが特徴的である。
22 〈沢田〉風雅帖(ふうがじょう) 沢田泉山書 弘化(1844?48)以降刊か 川越・沢田泉山 蔵板
坂川暘谷『風雅帖』を沢田泉山が臨書したもので、泉山の私家版。は埼玉県所沢市の寺子屋師匠である。内容は月々の消息文を集めた陰刻手本で、坂川筆の原本は後半に『源氏物語』五十四帖の巻名と『二十一代集巻頭和歌』を載せるが、これでは省かれている。
23 〈堀氏〉書状文集(しょじょうぶんしゅう) 堀流水軒 書 宝永5年(1708)刊 大阪・浅野弥兵衛 板
消息文例50通を収める。公用向け文書から私的書状まで、さまざまな例文を載せる。本文を大字・七行・無訓で記す。
24 〈江戸〉新用文章(しんようぶんしょう) 作者不明 江戸・松会 板
江戸前期から中期にかけて普及した初期用文章の典型。初刊は明暦3年(1657)刊。後続の類書に多大な影響を与えた。当館所蔵のものは下巻にあたり、「永代売渡申家屋敷事」以下3例の文例と、「書物之事」「諸道具之事」「万着類之分」「編并冠之事」を収録。 (明暦板系統(本文のみ)と寛文板系統(絵抄・注釈つき)があり、これは前者である。)収めたもの。ローマ字・かな・漢字など7体のイロハ音字を並記する。
[教訓科]
25 実語教童子教(じつごきょうどうじきょう) 作者不明 江戸中期刊 須原屋四郎兵衛板
最も広く長きにわたって普及した教訓科往来のひとつ。室町前期頃には二教合本のスタイルが生まれ、近世では、ほとんどが合本された形で刊行されている。『実語教』は勧学教訓、『童子教』は来世欣求・穢土厭離など仏教的色彩の濃い教訓、処世訓を主な内容とする。
26 実語教諺解/童子教諺解(じつごきょうげんかい/どうじきょうげんかい) 恵空 注 招月亭孤峰校 序 寛文10年(1670)刊 京都・梅村三郎兵衛 板
『実語教童子教』の代表的な注釈書。本文に続けて大意を示し、和漢書や故事などによる注解を加え、経書・仏典からの引用で締めくくる、という形をとる。古典を多く引用し、実証的・考証的で詳細な注釈である。
27 金言童子教<竝抄>(きんげんどうじきょう) 勝田祐義作 伊藤某書 正徳6年(1716) 刊 江戸・万屋清兵衛板
中国および日本の金言・ことわざを収録する。冒頭の「良薬は口に苦しと雖へども、病に用て必ず利在り。」など、現代においても使用されているものを多く含む。1行2句、計451行902句を綴る。頭書に略注を添える。刊本は、本学のみの所蔵と言われる。
28 童子教并抄(どうじきょうならびにしょう) 作者不明 慶安3年(1650) 刊 婦屋仁兵衛
仏教本位の注釈に終始した『童子教』注釈書の初期刊本。冒頭に「…童子ト者文殊ノ異名也…無智ナル者ヲ童子ト云時一ニハ人ノ名也…」とある。また、白居易、光浄菩薩、孔子を同一人物とし、本書の作者としてしまっている。
29 <守武>世中百首絵抄(よのなかひゃくしゅえしょう) 荒木田守武作 川嶋重信画 享保7年(1722) 刊 京都・菊屋七郎兵衛板
荒木田守武が大永5年(1722)に一夜で詠んだ、「世の中」の語を詠み込んだ百首の教訓歌に、それぞれの歌の内容にちなんだ絵を付したもの。内容は日常の心構えや立ち居振る舞いに関するものがほとんどで、その教訓性から世間では本書を『伊勢論語』と称していたという。
30 親族和合往来(しんぞくわごうおうらい) 十返舎一九作 晋米斎玉粒書 文政7年(1824) 刊 江戸・山口屋藤兵衛板
原装題簽付きの完本。絵題簽が付いたものは珍しい。六親九族などの語彙や親疎別の喪中期間などについて述べる。末尾で、親族の間でも礼儀を大切にし、和合に努めるならば、一族繁栄すると諭す。
31 二十四孝絵抄(にじゅうしこうえしょう) 熊沢蕃山 原作 草加崑山 編 浦川公左 画 天保13年(1842)刊 大阪・秋田屋太右衛門(宋栄堂)板
中世以来ひろまっていた「二十四孝」を、児童用教科書として編纂しなおしたもの。大舜,漢文帝,曾参,閔子騫, 仲由,董永,江革,陸績,老莱子,蔡順などからなる二十四孝に、田広/田慶/田真,張孝/張礼を追加し、「二十四孝評」を付す。
32 天筆和合楽(てんぴつわごうらく) 東里山人作 弘化4年(1874)刊 江戸・森屋治郎兵衛(錦森堂)板
「水戸黄門光圀卿御遺訓抜書」と表紙見返しにあるが、水戸光圀が作ったというのは架空。室鳩巣作『明君家訓』を下敷きとし、明君・忠臣の本務や心得について記す教訓書。
33 子供教草(こどもおしえぐさ) 中居撰之助作 嘉永7年(1854) 刊
江戸の商家へ年季奉公に出した息子へ向けて父が送った教訓の書簡(「教訓状」)。食事、衣服、住居、倹約、忠孝等について諭す。
34 礼道階梯(巻末)(れいどうかいてい) 田島池龍養元作 文政(1818?1830)頃刊
後に「諸礼大学」と改題される。「礼道階梯」の書名を持つものは、本学所蔵が唯一。「食礼階梯」「礼道階梯」の2項を収録。給仕、起居進退、進物積み方など、礼儀作法全般を説明する。
35 寺子躾方(てらこしつけかた) 一荷庵無一作・書 江戸後期刊 香取・一荷庵無一板
出版地が「北総香取神領老野村」とある田舎板。本学が唯一の所蔵と言われている。手習い時の筆法心得、朝の身仕度から朝食までの心得、立居振る舞い、客への応対、女性の心得、言葉遣いなどを諭す。「小児たりともきびしくをしゆべし」とある。
36 養育往来(よういくおうらい) 小川保麿作・書 天保10年(1839) 刊
子育てに関する諸々の心得を示す。出生前の胎教から、出産後の育児、子供の躾などを述べる。孟母や楠木正成妻の故事とその挿絵を見ることができる。子供・大人の双方の心得が渾然一体に記されているのが特徴。
37 幼童筆学早道(ようどうひつがくはやみち) 村野関山作・書 文政7年(1824) 刊 江戸・村野関山蔵板
異称『手跡稽古之節心持之儀左之通御心得可被成候』。伝本が極めて少ない。書法や筆道の心得を概ね大字で書き記し、手本用として作成されている。「書法之事」の項では、図解を交えて詳述する。
38 手習仕用集(てならいしようしゅう) 巻上 笹山梅庵(大海堂)作・書 元禄6年(1693)作、江戸中期後印
「大坂高麗橋筋西十一丁目」で寺子屋を営んでいた笹山梅庵が門下の児童のために筆道の要諦を記した筆道入門書ならびに書道手本。 巻上には執筆法を始めとする筆道の基本に関する条々と字画等の筆法を示した「格法七十五字」を載せる。
39 進学往来(しんがくおうらい) 作者不明 文政7年(1824) 刊 江戸・西宮新六板
題簽には「新板 頭書 童子進学往来 諸君子之遺誠撮要假名文章」とある。「子を養うに教えざるは父の過ちなり。」(司馬温公)から始まり、「謂うなかれ、今年学ばずして来年ありと。」(朱文公)などで終わる、中国の七賢人の言葉を並べ、学問することを進める。
40 教訓歌八体いろは(きょうくんうたはったいいろは) 晋米斎玉粒撰並書 文政(1818?30)頃刊 江戸・西村屋与八板
1頁に、2文字ずついろはの文字を挙げ、平仮名と片仮名、その字を頭韻とする教訓歌、同音の漢字8種とその音訓・熟語などを載せる。
41 眼前教近道(まのあたりおしえのちかみち) 津田正生作 文政11年(1828)刊 名古屋・永楽屋東四郎板
「熨斗」「田地」「工匠」「酒林」「化粧」「着物」「元服」「婚礼」「葬祭」「双子」「皇語」「陰陽」「よみ本」の13項毎に、語意・語源・異名や関連する故事・心得などを記した往来。
42 勧孝見せばや(かんこうみせばや) 野村善応作・序 天明5年(1785)刊 大阪・柏原屋左兵衛板
唐・王中書の作という『勧孝篇』を俗解した心学系の教訓書・往来物。『勧孝篇』は父母養育の恩と孝行・不孝のあらまし、また、二十四孝の代表的孝子5人について述べたもの。
43 <狂歌地口>心学人孝記(しんがくじんこうき) 豊年舎泰平作 歌川貞房画 弘化2年(1845) 刊 江戸・森屋治兵衛(錦森堂)板
「人孝記」の書名は、和算書『塵劫記』のもじり。頭書(画面上部)は、例えば「猫(二九)十八」のように、語呂合わせと挿絵を使い、九九を教える。本文欄には、石門心学に見られる正直、忍、分限、孝行等の教訓文を掲げ、道歌を絵解きする。
[歴史科]
44 古状揃講釈(こじょうぞろえこうしゃく) 歌川芳藤(一鵬斎・藤太郎)画 江戸後期刊 江戸・文渓堂 丁子屋平兵衛板
「今川壁書」「初登山」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「曽我状」の8状の各本文を数段に分けて大字・6行・無訓で記し、各段毎に割注を施し、さらに頭書に本文読方を載せている。
45 古状揃精注鈔(こじょうぞろえせいちゅうしょう) 蔀徳風注・序 天保12年(1841)序 天保14年刊 大阪・堺屋新兵衛板
大本1冊。高井蘭山注、天保4年刊『児読古状揃証註』を下敷きに多少の補訂を加えた『古状揃』注釈書。各状の本文を数段に分けて大字・7行・無訓で記し、各段毎に割注を施し、さらに頭書に本文読方を載せている。
46 熊谷送状(くまがいおくりじょう) 作者不明 慶安3年(1650) 刊 長崎・日本耶蘇会板
「熊谷送状(熊谷進状)」と「経盛返状」の二状を合わせて「熊谷状」と総称される事が多い。 「平家物語」の一異本「源平盛衰記」に取材した、敦盛の死をめぐる熊谷直実の手紙(直実送状)と敦盛の父平経盛の手紙(経盛返状)をあわせて単行版とする。
47 菅原親王願書絵抄(すがわらしんのうがんしょえしょう) 作者不明 江戸中期刊 仙台・伊勢屋半右衛門(裳華房)板(江戸後期板)
源氏一統の暴政を嘆いた菅原親王が願主となり、「日本大霊権現社」に源氏討滅を祈るという願書の体裁で綴られた往来。書名に「願書」と銘打つが、実質的には「日本大霊権現社」なるものの縁起・由来・景趣・結構について記述したもので、地理科参詣型往来の趣を有する。
48 木曽義仲願書(きそよしなかがんしょ) 作者不明 江戸初期刊 刊行者不明
寿永二年(1183)五月十一日、平家軍を追って砺浪山羽丹生に布陣した際に、木曽義仲が八幡大菩薩に勝利を祈願した願文が手本。「帰命頂礼八幡大菩薩日域朝廷之本主累世之嚢祖也」で始まる願書で、四海を管領して万民を悩乱する平清盛の様子や、国家・君主のために身を擲つ覚悟を示す。
49 頼義勢揃状(よりよしせいぞろいじょう) 作者不明 宝暦13年(1763)以前刊 仙台・刊行者不明
異称「<新刻改正>頼義勢揃状」。鬼甲(おにかぶと)城に立て籠もって逆心を抱く落浜入道・大林近江守・豊原安広討伐の源頼義軍勢の出陣を、旗揃風に描いた古状単編型往来。本文の過半は武将名を列挙した「名尽」的な文章で、末尾のみ「古浄瑠璃風の常套句で締め括る。本書の書き入れから、宝暦13年以前の刊行であることが分かる。
50 頼光山入往来(らいこうやままいりおうらい) 十返舎一九作・序 歌川国安画 文政7年(1824) 刊 江戸・山口屋籐兵衛板
伝記型往来の一つで大型の色刷り絵題箋を付すの特徴。本書は家臣「頼光四天王(渡辺綱・碓井貞光・坂田金時・卜部季武)」とともに、その武勇ぶりで知られる源頼光の生涯を題材にした往来である。
51 楠三代往来(くすのきさんだいおうらい) 十返舎一九作・序 晋米斎玉粒書 歌川国安画 文政7年(1824) 刊 江戸・山口屋藤兵衛板(錦耕堂・文寿堂梓)
「智・仁・勇三徳兼備の良将」と讃えられた楠木正成とその子の正行・正儀三代の武功を綴った伝記型往来である。この楠木家三代は二心なく仕え、忠義に死んだが、その美名は今もなお言い伝えられていると賞賛して結ぶ。
[地理科]
52 真間中山詣(ままなかやまもうで) 滕耕徳作・書 高井嵐山補 寛政2年(1790) 刊 江戸・花屋久治郎(星運堂)板
江戸・日本橋より下総国葛飾郡・真間中山に至り、行徳を経て江戸に戻るまでの沿道の神社仏閣・名所旧跡と、真間山弘法寺(ぐほうじ)の縁起・景観等を記した往来。全一通の手紙文で綴る。
53 日光拝覧文章(にっこうはいらんぶんしょう) 柳塘山入作・書 享和元年(1801) 刊 江戸・花屋久次郎(星運堂)
「年来の御願成就の時至候て、此度、日光山ご参拝可有の旨・・・」で始まる一通の手紙文で、日光参詣途上の名所や日光東照宮の景観・縁起等を紹介した往来。巻頭に「日光強飯の図」「日光山名物品類」「江戸より日光迄宿次行程凡三十六里」を掲げる。
54 日光詣結構往来(にっこうもうでけっこうおうらい) 鼻山人(東里山人)作 文政7年(1824) 刊 江戸・岩戸屋喜三郎板
日光東照宮の結構やその近在の名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起等を記した往来。同地に残る伝承や来歴を交えながら東照宮の荘厳な結構や建造物に施された無類の細工など、さらに周囲の名曝・山川・寺社にも言及し、万人が一度はこの地に「御礼報謝の参詣」をすべきと締め括る。
55 雑司谷詣(ぞうしがやもうで) 高井蘭山作 章水(燕山)書 寛政7年(1795) 刊 江戸・花屋久次郎(星運堂)板
雑司ヶ谷(東京都豊島区)・鬼子母神と、筋違橋より鬼子母神に詣で、さらに淀橋・内藤新宿に至る沿道の名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起等を記した往来。巻頭に「鬼子母神周辺図」「日蓮上人の弟子六老僧」「八境」等、頭書に「諸国神社考略」を掲げる。
56 新撰大和名所往来(しんせんやまとめいしょおうらい) 不存斎白鳥作 天明7年(1787) 刊 京都・菊屋安兵衛(鹿野安兵衛・菊英館)板
大和国の名所旧跡等を記した往来。頭書に多彩な往来を盛り込み一種の合本科往来の趣を持つ。「夫、大和一国中は神武帝より代々の帝所々へ宮居ましませし国なれば、名所・古跡多く、神社仏閣頗る多し。」で始まる文章で、内容が豊富で、大和一国のみならず周辺諸国にも言及するのが特徴である。
57 江戸往来絵註抄(えどおうらいえちゅうしょう) 藤村秀賀注・序 橋本貞秀(玉蘭斎)画 巻鴎洲跋 元治2年(1865) 刊 江戸・山崎屋清七(山静堂)板
「江戸往来」の本文を四三段に分けて行書・大字・八行・無訓で記し、格段毎に詳細な二行割注を施した注釈書。各段毎に詳細な二行割注を施した注釈書。各段の大意を平易に解説したうえで、一つ一つの語句・語彙についても詳しく具体的な施注を加える。
58 <女用至宝>都名所尽(みやこめいしょづくし) 池田東離作 文政7年(1824) 刊 京都・吉野屋仁兵衛ほか板
「この京は桓武天皇の御ときよりはじまり、四神相応の霊地にして、ことさら賢き大君の御政、まことにありがたき御代なれば・・・」で始まる一通の女文で、京都の名所を紹介した往来物。
59 駅路往来(えきろおうらい) 小川保麿(保麿・玉水亭・小川屋辰蔵)作 堀原甫(赤鯉亭)序 西川竜章堂書 春翠斎祐春画 天保4年(1833)作 嘉永6年(1853)刊 京都・丸屋善兵衛(瑞錦堂・山中善兵衛)ほか板
主として本陣・旅宿の子どもの教育向けに、道路交通に関する常用語を綴った往来。「夫、道中筋、駅路泊宿、本陣・・・」と起筆して、旅行に関する注意を詳細に記す。
60 江戸名所独案内(えどめいしょひとりあんない) 作者不明 享和3年(1803) 刊 江戸・西村屋与八板
明和2年の『御江戸名所方角書』を原型とし、江戸の地名、名所などを記す。口絵には「両国橋之風景」、頭書には「大日本国尽」「生花指南」などを収める。
61 をみなえど方角(をみなえどほうがく) 色葉堂芸台書 嘉永元年(1848) 刊 江戸・三田屋喜八板
明和2年(1765)の『江戸名所方角書』を原板とする大版の女子用手本。ただし地名を大幅に削減している。文字遣いは繊細で、美文体。原装題簽付き。
62 万世江戸往来註解(ばんせいえどおうらいちゅうかい) 高井蘭山注・跋 天保8年(1837) 刊 江戸・須原屋茂兵衛板
『江戸往来』の注釈書。『江戸往来』本文を38段に分け、割注を施す。注釈内容は、「江戸」の地名の由来などをはじめ、江戸の歴史について記す。また、『江戸往来』本文の不適切な箇所についても指摘をしている。
63 江島鎌倉往来(えのしまかまくらおうらい) 作者不明 享和元年(1801) 刊 江戸・鶴屋喜右衛門板
鎌倉の地名の由来や、周囲の地勢、鶴ヶ岡八幡宮など鎌倉にある神社仏閣の縁起などを記す。巻頭には鎌倉を中心とした関東一円の図を収め、頭書には「物数之書法」「江の島の図」などを収める。
64 堀内詣(ほりのうちもうで) 大喬堂書 高井蘭山校 文化10年(1813) 刊 江戸・花屋久治郎板
江戸から堀の内に至り、そこから井の頭をまわって江戸に戻るまでの沿道の名所や神社仏閣の縁起等を記す。巻頭には「堀の内の図」、巻末には「直愈散」の効能書きがある。
65 鎌倉詣(かまくらもうで) 蓮池堂作・書 高井蘭山校 文化7年(1810) 刊 江戸・花屋久治郎板
全一通の手紙文形式で、鎌倉から金沢八景周辺の神社仏閣や名所を訪ね歩いたことを報告し、さらにその風趣、縁起などを記す。巻頭には「鶴岡八幡宮結構図」を収める。
66 鎌倉一覧文章(かまくらいちらんぶんしょう) 蓮池堂作 文政6年(1823) 刊 江戸・鶴屋喜右衛門板
「鎌倉詣」と同内容。巻頭には「鶴岡八幡宮結構図」を収める。原装題簽付き。
67 名物往来(めいぶつおうらい) 作者不明 貞享頃刊 江戸・木下甚右衛門板
五畿七道の順に諸国名産のあらましを紹介。分量としては五畿内の、特に山城国の記述が多いのが特徴。物産中心の往来としては最古刊本の一つとして重要。
68 東海名物往来(とうかいめいぶつおうらい) 作者不明 天保8年(1837) 刊 江戸・山口屋藤兵衛板
東海道沿いの各地の物産名を書き連ねる。巻頭には品川の海岸の図を、頭書には「東海道筋より諸方への別れ道」「中仙道ならびに木曽路より諸方への別れ道」「木曽街道名物」「旅中の妙術」などを収める。
69 買得往来(ばいとくおうらい) 小野臨水堂作・書 寛延4年(1751)以降刊 京都・菊屋喜兵衛板
地方から京都に上京した商人用に、京都の名所や名物などの名を列挙したもの。巻頭には「片仮名真字古文字いろは」などを、頭書には「花洛東山詣」や二条城の図解などを載せる。(原装題簽付き)。
70 御江戸年中往来(おえどねんちゅうおうらい) 作者不明 享和元年(1801) 刊 江戸・藤岡屋慶次郎板
江戸庶民の年中行事の風景を月毎に記す。巻頭には日本橋の風景図と「日本橋より諸方参詣の道程」を、頭書には「五節句の故事」「月々養生訓」を収める。
71 木曽街道往来(きそかいどうおうらい) 雪江斎作・書 田蘭水跋 明和4年(1767)書 天明2年(1782)跋・刊
「九重の花をひとへに思ひたつ、旅の衣や道芝の、霞が関を越路よる、・・・」と筆を起こし、江戸より京都にいたる中仙道・木曽街道上に点在する宿駅の名を次々に記した往来。
72 隅田川往来同八景和歌(すみだがわおうらいどうはっけいわか) 禿箒子撰・再訂 近田中道筆 文化8年(1811) 刊 江戸・西村屋与八板
隅田川一帯を散策する計画を奨める一通の女文形式で、江戸・両国橋から亀戸天満宮・永代島八幡宮までの隅田川周辺の名所旧跡・神社仏閣を紹介した往来。頭書に龍田詣を載せている。
73 名頭并日本国尽都路往来(ながしらならびににほんくにづくしみやこじおうらい) 近藤暘露書 安政3年(1856) 刊 江戸・江戸屋庄兵衛板
大本1冊。『名頭』『大日本国尽』『都路往来』の3編を大字・4行・付訓で綴った手本。『名頭』は,「源・平・藤・橘・・・」からの人名。『大日本国尽』は,山城から薩摩の66ヵ国および壱岐・対馬の2島を列記したもの。『都路往来』は東海道53次の宿駅名を列記している。
[産業科]
74 続百姓往来太平楽(ぞくひゃくしょうおうらいたいへいらく) 作者不明 享和3年(1803) 刊 江戸・西村屋与八(永寿堂)板
明和3年(1766)刊『百姓往来』の続編として編まれるも、直接の関連は見られない。農業の重要性を説き、農作業の手順や、年貢上納、農民の生活、農民の心得などについて記す。原装題簽付き。
75 柱立往来(はしらだておうらい) 鼻山人作 文化13年(1816) 刊 江戸・森屋治兵衛板
宮大工の子弟用に、寺社建築に関する言葉を綴り、寺社建築の作業手順や、材料、技法、建物各部の名称、さらには宮大工としての注意点、心構えなどを説いている。なお、巻頭には「大工半纏の由来」、頭書には「人倫名目字尽」などを掲げる。
76 大工番匠往来(だいくばんじょうおうらい) 野口晋松堂作 江戸後期刊 江戸・山静堂板
地鎮祭や、建築職人、用材、神社仏閣建築、城郭建築、棟上の儀式などに関する語彙をひたすら羅列したもの。頭書には「造宮堂木品積心得の事」を載せる。
77 商売往来(しょうばいおうらい) 作者不明 天保年間(1830-1844) 刊 江戸・星文閣板
商業活動に関する文字として、「商取引の記録文字等」「貨幣名」「商品」「商人生活の心得」について記した往来。特に商品が占める割合が大きく、そのほとんどを類別の商品名の形で掲げるのが特徴。江戸後期から明治前期にかけて数百の版を重ねるなど、著しい流布を遂げた。
78 問屋往来絵抄(といやおうらいえしょう) 十方舎一丸 作・画 弘化4年(1847) 刊 大阪・河内屋又一郎ほか板
明和3年(1766)の『問屋往来』に頭書絵抄を加えたもの。本文は行書と楷書の2体で表記。音訓を平仮名と片仮名で付す。本文の後半部分には「当流小うたひ」などを載せ、口絵には「大黒・夷像」などの色刷りの絵も収めてある。
79 諸職往来(しょしょくおうらい) 作者不明 安政6年(1859)刊 江戸・西村屋与八板
冒頭に士農工商の四民が「国家之至宝」であり、「日用万物調達之本源」であることを述べ、以下、士農工商の順にそれぞれの本務と心得を列記する。中でも職人に重点を置くのが特徴。
[社会科]
80 世話千字文(せわせんじもん) 天保5年(1834)刊 大坂・河内屋平七
『千字文』の形式で、四字一句の語句を集めた往来。「商売繁昌」「婚姻諸礼」「刑罰赦免」「勤学講釈」「冥加至極」等、収録範囲は社会生活全般にわたる。各句には訓に加え、本文左に小字・楷書で各字の意味を示している。巻頭に「本朝能書の図」を載せる。
81 世話千字文講釈(せわせんじもんこうしゃく) 山崎美成 注 弘化2年(1845)刊 江戸・英文蔵(青雲堂)板
『世話千字文』の注釈書。本文を四字一句ずつ挙げ、割注を施す。例えば「鳳暦賀慶」には「鳳暦といふ鳥が出れば、目出度例にいへば、当世を祝して鳳暦(めでたきとし)とはいへり…」のように、割注は一句をさらに詳細に語句単位で解説したものが主体である。
82 日本神国往来(にほんしんこくおうらい) 系田川翁作・跋 弘化4年(1847) 刊 江戸・森屋次郎兵衛(錦森堂)板
異称「神道往来」。「宗門往来」と同様に、宗教・宗派について扱った往来の一つ。神国たる日本の歴史を概説して神道の重要性を強調した往来。日月星の「三光」が全て日本より出現したことや、「千界万国」の恵みは全て神の恩によることなどが述べられている。
83 〈御家〉季寄文章(きよせぶんしょう) 和田良朔 作・書・序 文政5年(1822)序・刊 高崎・華陽堂
新春の慶賀に始まり、季節の景物などを和歌や発句を交えて綴る。『源氏物語』を背景にした表現など、古典的知識を豊富にとりこんでいるのが特徴。刊行地が珍しい高崎板である。
84 四季詩歌集(しきしいかしゅう) 作者不明 天保15年(1844)刊 江戸・甘泉堂板
春・夏・七夕・秋・冬の5題で詠んだ四季の詩歌を綴った手本。漢詩は3行並べ書き、和歌は4行散らし書きで記す。収録した詩歌は「春」18首、「夏」8首、「七夕」20首、「秋」10首、「冬」2首の合計58首。
85 御成敗式目(ごせいばいしきもく) 北条泰時ほか作 元禄8年(1695)刊 柏原清右衛門板。
貞永元年(1232)に制定、公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。武家社会必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。近世以降は庶民の手習い用にも広く用いられた。
[理数科]
86 新編塵劫記(しんぺんじんこうき) 吉田光由編 再版 寛文9年(1669) 刊
算数、算盤による計数能力の開発を期しながら、庶民が営む日常生活、経済活動に即した多くの問題が出されており、興味を持たせる豊富な挿絵を掲げている。近世中期より後期・末期の算数型往来に与えた影響は非常に大きく、『塵劫記』の名称は算数教科書の代名詞となった。
87 算盤指南(そろばんしなん) 大藪俵助茂利編 天保13年(1842)序 江戸・吉田屋文三郎板
大藪俵助茂利は筑後柳川の和算家宮本宗四郎重一の門人。算盤の説明から、掛け算、割り算、開平(平方根)、開立(立方根)の計算から、利息の計算など実用的な門題ばかりでなく、内接円などの図形の問題も収録している。
[女子用]
88 曹大家女論語図会(そうたいこおんなろんごずえ) 畑銀鶏作 中林子博書 村田嘉言校・画 文政12年(1829) 刊 江戸・岡村屋壮助ほか板
曹大家が著した『女論語』の和訳に、和漢風俗を取り入れた挿絵を加えたもの。「立身」「学作」など12の章から成る。巻末・巻頭は多色刷りになっている。
89 児女長成往来(じじょちょうせいおうらい) 十返舎一九作 晋米斎玉粒書 文政6年(1823) 刊 江戸・山口屋藤兵衛板
「人の生まれ出づるより生涯の事々」のあらましを述べたと序文にある。誕生以後、成長に従った通過儀礼及び作法を示す。
90 女童子訓翁草(おんなどうじくんおきなぐさ) 竹田春庵作 文政11年(1828) 刊 浪華書房(加賀屋善蔵)板
『女訓翁草』に挿絵を施した改訂版。4分冊。貝原益軒の『和俗童子訓』『楽訓』を敷衍、引用しつつ、嫁入り時の心得、読書のすすめ、女性の教養・務め(裁縫、音楽、算法..)等について説く。
91 西三条殿長文(上)(にしさんじょうどのながぶみ) 作者不明 享保(1716?36)頃刊
他に所蔵が無いと言われる稀覯書。婚礼をひかえた西三条殿(息女)へ、嫁入り後の心得十カ条を諭す。「慈悲・柔和・貞節」「客への応対」「召いの指導」などの内容。
92 貞経(ていきょう) 八島五岳作 天保10年(1839) 刊 京都・俵屋清兵衛(耕価堂)板
既婚女性が守るべき教訓・生活心得を次の八章に分けて諭した往来。巻頭に「和漢二十四貞女」等の口絵がある。表紙の挿絵は手描き。
93 女諸礼綾錦(おんなしょれいあやにしき) 暁鐘成 作 蔀関牛・森春渓(有煌) 画 天保12年(1841)刊 大阪・河内屋喜兵衛 板
寛延4年(1751)刊『女諸礼綾錦』(北尾辰宣作)を、改編したもの。上下巻から成り、絵入りで女子に対する教訓や心得、礼法などを説く。頭書の「女書礼式」は、辰宣作のものよりも充実しており、江戸期では最も詳細な女性書札礼の一つである。
94 女七宝操庫(おんなしちほうみさおぐら) 作者不明 江戸後期 書か
いろは順に項目を立て、ほぼ、その文字で始まる七句で教訓・金言を述べる。「い」の項には「古をかゝみとして 今の世の手本とすべし 徒に月日を送るべからず 命は義によつて軽といへども 色ゆへにすつる事賤ものゝしわざなり幾許の親の恩を思べし」とある。
95 女論語宝箱(おんなろんごたからばこ) 随時老人 原作 弘化4年(1847)刊 大坂・石川屋和助
別タイトル『女論語』。安永2年刊『女要倭小学』の改題である『女論語躾宝』から付録記事を除き、本文のみを抽出したもの。慈悲・接客態度等の女子教訓十ヶ条を説く。 随時老人(康行)作だが巻頭に「益軒 貝原先生述」と記し、権威付けをはかっている。
96 女重宝記(おんなちょうほうき) 作者不明 元禄・宝永頃刊
5巻合1冊。元禄期以降に数多く板行された重宝記類のうち最も流布したもの。日常生活全般の心得、祝言、懐妊・子育て、手習い・和歌等の諸芸、女節用集字尽など、女子一般の教訓を含む女性生活百科の嚆矢である。
97 女大学宝箱(おんなだいがくたからばこ) 柏原清右衛門作か 文政12年(1826)刊 大阪・柏原清右衛門板
『女大学』本文の漢字に振り仮名をつけ、頭書に挿絵を付し、巻の前後に源氏物語、百人一首、世嗣草等の記事を付録させている。巻末には小児急用薬方を載せている。
98 女今川(おんないまがわ) 作者不明 正徳4年(1714) 刊 江戸・西村伝兵衛板
最も普及した女子用往来。教訓全23ヵ条と後文とから成る壁書形式で、これは『今川状』のスタイルを踏襲したもの。頭書に「女子躾方図説」「五せっくの事」等を載せている。
99 女今川(おんないまがわ) 作者不明 文化10年(1813) 刊 大阪・河内屋吉兵衛板
98の『女今川』から百年後のもの。挿絵の女性の服装や髪型に時代の違いが現れている。頭書に「男女日用日頃草」を、巻頭に「婚礼の図式」「御厨子飾の法」「香道たしなみの事」等を載せている。
100 百人一首(ひゃくにんいっしゅ) 藤原定家撰 松花堂昭乗筆 承応2年(1653)刊
『百人一首』は子女の教育・啓蒙に必要な知識の一部として溶けこみ、江戸期刊本だけで1000点を超える多様な『百人一首』が刊行されている。今回展示したものは、寛永の三筆の一人、松花堂昭乗(1584-1639)の筆になるもの。
101 しのすすき女筆(しのすすきにょひつ) 長谷川躰(貞)作 元禄7年(1694) 刊 京・山岡市兵衛板
四季の情景を盛り込んだ時候の挨拶や種々用件など多くの例文を載せる。書法の1つである「散らし書き」形式であるが、文字の大小・濃淡などアクセントを付け、視覚的な美を具えた、長谷川妙躰独自のスタイルである。この後、妙躰流ブームが巻き起った。
102 女つれづれ色紙染(おんなつれづれしきしぞめ) 中村甚之丞 作 享保6年(1721) 刊 大阪・敦賀屋九兵衛 板
同作者による、元禄6年(1693)刊『女筆四季文章』の改題本で、五節句などの年中行事故実、四季の風趣などを記す。前付けに「源氏須磨乃図」「諸国名所八景」「女中風俗」等の記事を加えている。
<参照文献>
- 『往来物解題辞典』 小泉吉永編著. 大空社, 2001.
- 『稀覯往来物集成』 小泉吉永編. 大空社, 1996-1998.
- 『日本教科書大系:往来編』 石川松太郎編纂. 講談社, 1967-74.