平成16年度 所蔵資料展 展示資料一覧<教科書・関連資料>
教科書
関連資料
1 単語略解(たんごりゃくかい)巻一~三 橋爪貫一著 明治6年 (1873) 東京・江藤喜兵衛(松園蔵版)
カタカナの五十音から始めて、巻一, 巻二は「天文」「地理」「職分」「人倫」といった項目ごとの単語を楷書の漢字にかな付で列挙する。巻三は、「太陽の事」「星の事」といった自然現象について述べた文章を行草体で載せている。「以て童蒙婦女子と雖も物理に於ては一として弁解なし致ざる者なきに至るべし」と序文にあるように、文字や単語を学びながら物理を中心とした自然科学の知識も身に付けられるようにという意図がうかがえる。橋爪貫一は明治初年、会話や商取引に必要な実用英語をいち早く伝えた先駆者で、『童蒙暗誦英語往来』『世界商売往来』等の著書がある。
2 開化千字文(かいかせんじもん) 松村春輔(桜雨園)作 学僊画 明治6年(1873) [東京]・丁子屋平兵衛(文渓堂)
明治初年、文明開化の動向を踏まえて編集された『千字文』型教科書の一つ。「聖上東宮、皇后女御、天長誕辰、億兆恐悦、君主専制、一統継立、…」と起筆し、皇室への鑚仰、政府諸官庁の名称を始め、近代生活で使われるようになった諸事項を取り上げ、文末で再び皇室の仁政を讃えている。 本書末尾の広告には、本書のことを「古今必用ノ漢語ヲ千字文ニナゾラヘ童蒙ヲシテ文字ノオボヘ易キ為メ又手本共ナレバ初学ノ輩座右ニオキテ弁理トナルベキ書ナリ」と記している。
3 開化童子往来(かいかどうじおうらい) 松川半山著 明治6年(1873) 大阪・岡田茂兵衛(群玉堂)
本書は明治維新後に日本の貿易事情が大きく変化し、新たに使われるようになった貿易関係の各種用語や品物の名称などを列挙したもの。具体的には、わが国の貿易港や貿易の相手国、海運のための自然条件、船舶に関する機械・道具類、各国産物などが掲げられ、当時の日本人には馴染みの薄かった外国製品などについては図解がなされている。 見開きの部分は本書の巻頭の口絵「小学校登校図」。鮮やかな色刷りで、当時の子供たちの登校風景が生き生きと描かれている。
4 啓蒙ちえの環(けいもうちえのわ) 四刻 瓜生寅(於莵子)訳述 明治7年(1874) 東京・和泉屋吉兵衛
窮理学(物理学)始め社会その他諸般の知識を綴った教科書。総論・身体・飲食・服飾・居所・教育・乳養動物・鳥・爬虫と魚・蟲類・蚓類・植物・地・物の体質・空気・諸天・時節・人間交際・国政・列国・通商交易・物の質および其の働き・機械力・五官の23篇に合計192項を所々図解を交えて略述する。 「第六篇 教育の論 第四十一課 童子玩遊学問の論と第四十二課 女子の玩要の論」を提示する。女子と童子の遊びの違いが挿絵とともに示されている。
5 小学入門 / 地理初歩(しょうがくにゅうもん/ちりしょほ) [著者不明] 明治8年(1875) 橋爪貫一蔵版
『小学入門』と『地理初歩』の2つの教科書を合冊したもの。前半部分が『小学入門』で、後半が『地理初歩』となっている。小学校の初学入門教科書で、図や絵を多く掲載している。 また、漢字によみ仮名を付しているのもこの教科書の特色の一つである。見開きの部分は、右の頁が標題紙で、左の頁には「いろは図」が載せられている。
6 小学入門 乙号(しょうがくにゅうもん) 文部省編 明治9年(1876) [東京]・文部省
小学校の総合的な入門教科書。師範学校で作られた教材図を収録したもので、本書は縮刷版(乙号)である。「いろは図」「五十音の図」「加算九九の図」「乗算九九の図」「単語図」「線及度図」「面及体図」「色図」など初学入門のための教材図を収録している。 見開きの部分の右の頁は「面及体図」で、平面形、立方体の種類と名称を示し、左の頁の「色図」では、黄、赤、青、柑色、緑、紫、紺の7色と、それを配合させた種々の色を示している。
7 小学読本(しょうがくとくほん) 田中義廉編 明治6年(1873) [東京]・文部省
本書は翻訳文によって内容が編集されている。特に巻1、巻2などは当時アメリカにおいて普及していたウィルソン・リーダーの翻訳によって作られている。そのため、文章が翻訳文体であり、内容やさし絵などにおいても異国的なものが少なくない。明治7年の改正版においては、6年版の不自然な直訳を改め、わが国の事情や児童の程度に応ずるように全体にわたって修正を加えている。 この小学読本は多くの府県の教則の中に読物の教科書として示され、ほとんどすべての府県で翻刻され、非常に普及した。そのため字引、解説本、注釈本もおびただしく出版されている。
8 The first reader of the school and family series Willson, M. 明治19年 (1886) 大阪・吉岡平助翻刻
田中義廉の7『小学読本』のもととなったアメリカの教科書で、ウィルソンのリーダーとして名高い。今回展示したものは明治19年に大阪で翻刻・出版されたもの。右のページは子どもたちがボール遊びをしている場面で、『小学読本』のそれと比較するとおもしろい。
9 ウヰルソン氏第壹リードル独案内 (ういるそんし・だいいちりーどるひとりあんない) 4版 馬場栄久・細井僖吉訳 明治20年(1887) 東京・大倉氏蔵発兌
ウィルソンのリーダーを翻訳したもの。明治18年3月に初版が出版され、続けて4月に2版、7月に3版、明治20年には4版と版を重ねている。一つのセンテンスの単語ごとに訳語とカッコに入れた漢数字を掲げ、その漢数字の順に読むと日本語の文章になるようになっている。漢文を読むときの訓点を思い起こさせる表現である。見開きページは7『小学読本』、8ウィルソンのリーダーと同じでボール遊びを扱っている節。
10 小学読本字引(しょうがくどくほんじびき) 改正 渡部栄八著 明治9年(1876) 東京・水野慶次郎刊
『小学読本字引』は、田中義廉編集の『小学読本』や榊原芳野編集の『小学読本』の学習参考書として誕生したもので、その収録語の読み方と語釈を示したものである。 当時の出版事情は今日と異なり、『小学読本』は文部省が原本をつくり、それを元に全国各地の版元があらたに『小学読本』を翻刻して使用した。『小学読本字引』は、それら版元の要請によって、各地の編者が独自に内容を研究して、読み方と語釈とを施したもので、その一冊一冊は、編者の言語環境、教養、語感などを反映し、当時の日本語事情が濃厚ににじみ出ている。
11 <郡名産物>日本地理往来(にほんちりおうらい) 上下 柾木正太郎(真左樹繁)作・序 村田海石(邨田海石)書 明治5年(1872) [大阪]・梶田喜蔵(文敬堂)
日本各地の沿革や地名・地勢・物産などを五畿八道・各国別に紹介した往来。頭書「本朝国郡名」に郡名・田数・石高・府県庁・各国異名(古名)・産物名と、各地の風景画を載せる。上巻に「畿内~北海道」、下巻に「北陸道~九州」を収録している。 頭書の挿絵は「東京横浜の鉄線(てつどう)汽車(じょうきしゃ)」。新橋・横浜間の鉄道開業が明治5年9月のことであるので、本書の出版時にはホットニュースであった。
12 西洋旅案内(せいようたびあんない) 上下 福沢諭吉著 明治6年(1873)再刻 (慶応3年[初版]) [東京]・慶應義塾出版局
西洋旅行の案内記。自らの体験を基に、横浜からの航路と里数、船賃の払い方、船中の生活、世界各地の気候などを記す。附録として銀行の機能や取引上の諸書類の作成法などが例を挙げて詳しく説明されている。明治初期には民間啓蒙家による翻訳書や、欧米の事情を紹介した本が教科書として用いられることが多かったが、本書をはじめ『西洋事情』『学問のスヽメ』など福沢諭吉の著作も多く教科書として使用された。見開きの部分(下巻)は、日本からサンフランシスコまでの航路とニューヨークにいたるアメリカ大陸の旅の様子を記した「太平海飛脚船の立寄場所」の一部である。
13 万国奇談:一名・世界七不思議 (ばんこくきだん:いちめい・せかいななふしぎ) 巻之一~二 青木輔清纂輯 明治6年(1873) 東京・和泉屋市兵衛(東京書林)刊
本書は世界の驚くべき物語や事物を、図解を交えながら解説したもの。とりあげられた話題は、旧約聖書の創世記にあるアダムとイブ、ノアの大洪水といった神話、中国の万里の長城など壮大な遺跡、スエズ運河の開通や北アメリカの鉄道といった大事業など多岐に渡る。見開きの部分はモールス信号について紹介した「其四大西洋海底傳信機の?」の一部分。23丁裏の挿絵はモールス電信機を取り扱う図である。この電信機から伸ばされた電線は、各丁本文中に挿入された柱を通り、本項目28丁裏に掲載される受信機につながっている。
14 地理初歩(ちりしょほ) 文部省編纂 明治[6?]年(1873?) 堺県
明治6年4月の文部省布達に示された小学校地理之部の教科書。『Primary geography : introductory lessons (lesson 1-10) / by Cornell』を基に編纂された。冒頭に「人民の生活する地球は一つの遊星にして其形殆ど円きこと橙の如し…此地球の表面の諸事を教ふる学を「ゼオガラヒー」と云う」とあり、地理学の基礎概念を教えようとする立場が示されている。本書を始め、師範学校と文部省が協力して編纂した教科書は多数の府県で翻刻され、広く使用された。本書は堺県(現大阪府の一部)で刊行されたもの。当館ではほかに「官版」「長野県版」「明治7年改正版」を所蔵している。
15 日本地誌略;片仮名附(にほんちしりゃく) 乾坤 師範学校編輯 水口龍之介訓 明治9年 (1876) 大阪・村上真助翻刻
本書は師範学校編集、文部省刊行の四冊本であり、翻刻本は各府県で刊行されているので、刊行された総冊数は最も多かったとみられる。当時における小学校地理教科書を代表するものである。本書が文部省による日本地理教科書の編集についての第一着手となったことは注目されねばならない。今回展示したものは巻一、二を乾、巻三、四を坤として二冊本にしたもので、判型も小型のもの。 「武蔵野ハ、多摩川荒川ノ、間ニ在リテ西ハ秩父山ヲ限リ、東ハ内海ニ至ル、昔時ハ、廣漠ノ荒原ナリシガ、今ハ田畝開ケ、村市相連リ」とある。
16 英國史略(えいこくしりゃく) 巻之一~四 河津孫四郎(巻1-2)、作楽戸痴鶯(巻3-4)訳述 明治3-4年(1870-1871) [東京]・知新館蔵梓
チャンブル、バルドウイン両氏の『英国史』より訳述したもの。外国史の教科書としては師範學校編輯『萬國史畧』が広く用いられたが、本書をはじめ、中国史、英国史、米国史など各国の歴史に関する教科書が使用されることもあった。本書は全4巻からなり、古代からビクトリア女王の時代(現代)までの英国の歴史が記されている。1066年に即位したノルマンディ公ウィリアム以下の時代は、それぞれの王ごとに章を立てて事跡を詳述している。見開きはビクトリア女王の時代。クリミア戦争に勝って「英国の海陸の両軍頗る顕誉を得て爾来愈々国富み栄えけり」と結んでいる。
17 萬国史略(ばんこくしりゃく) 1-5 改正版 田中義廉編輯 明治8-9年(1875-1876) [山梨]・内藤傳右衛門
山梨県蔵板となっているが、当時全国に広く使用された教科書の一つである。文部省の万国史とならんで、児童用に供するために編集されたものである。本書は支那や日本についての内容はすべて省略し、欧米の歴史を五巻の教科書にしたもので、児童用として整った教科書のひとつである。本書はこの頃における小学校用外国史教科書の代表的なものである。外国史は明治十年代になると小学校の教材から除かれるが、それまでは文部省の『萬國史略』が簡単な形において、田中の本書が詳細な内容をもった基準となる教科書となっていた。
18 天変地異(てんぺんちい) 小幡篤次郎 明治元年(1868) 慶応義塾
本書は自然現象を通俗的に解説した明治初期の啓蒙的理科書である。特定の原書はなく、欧米の多数の理科書から抄訳して、当時の人々が不思議とし、あるいは迷信となっている雷、地震、彗星などの事象をとりあげ、わかり易い図絵をもかかげて通俗的にその理(法則)を解説している。本書は一般啓蒙書として読まれたばかりでなく、学校の教科書としてもかなり広く用いられた。文部省制定の「小学教則」には下等小学校第5級(第2学年後期)の「読方読本」の教科書の一つとして指示されており、また府県の小学教則の中に本書をあげているものもある。(望月文庫)
19 變異辨:一名・天變地異拾遺 (へんいべん:いちめい・てんぺんちいしゅうい) 鳥山啓編 明治6年(1873) 大阪・石田和助(書林会社)刊
気象・天文関係の自然現象を取り扱った啓蒙的読物。竜巻や辻風、蜃気楼や逃水などの自然現象について図解を交え、その様子と仕組みを解説している。副書名に「一名・天變地異拾遺」とあるが、当時広く普及していた『天變地異』(小幡篤次郎著)の補遺を目的として著されたものである。見開きの部分は蜃気楼についての項目(「蜃気楼並びに海市の事」)の一部分である。挿絵には、海上にあたかも都市が浮かんでいるかのように映る様子が描かれている。
20 暦日往来(れきじつおうらい) 坂昇平著 明治8年(1875) [東京]・松涛軒
暦のあらましを綴った往来。一年の長さや閏年、四季、二十四節、月の大小、太陰暦と太陽暦の相違等について述べ、続いて二十四節毎に日の出・日の入りの時刻や農事、季節の産物、風物などを詳述し、最後に一年の生計を熟慮すること、備荒を心掛けること、寸暇を惜しんで学ぶこと、富国強兵は人民の粒々辛苦に基づくことなどを諭す。「夫此暦日往来は、先(まず)一とせの季節より、時刻の長短寒暖の、気候の概略を示すなり、抑(そもそも)太陽といふものは、三百六十五昼夜と、五時四十八分五十秒にて、我棲世界を周回すれば則ち之を一年と定め、…」と起筆している。
21 下等小学養生談(かとうしょうがく・ようじょうだん) 巻之一 福井孝治 明治12年(1879) 大阪・浅井吉兵衛
本書は「養生(保健衛生)口授」のための代表的な教科書であり、理科教育史の上で一つの意義を持つ。 例言によれば、「此書ハ専ラ下等小学口授科ニ用ウルガ為設クル處ナリ」と述べ、下等小学の「口授」のための教科書であることが明記されている。総論は人体の健康がいかに大切であるか、各論で人体の構造を解剖・生理で説明、その後養生の大要を述べ、さらに筋骨・消化器について、通俗的な例話をあげて説いている。
22 通常動物(つうじょうどうぶつ) 辻敬之著 明治15年(1882) 東京・普及舎
明治14年(1881)に制定された「小学校教則綱領」に準拠して編集された一連の博物教科書の一つ。小学校教則綱領によれば、理科関係の科目は博物・物理・化学・生理にわかれており、中等科では「通常の動物」「通常の植物」「通常の金石」を授けるものとしており、本書はそのための教科書である。動物について名称・部分・常習・性質・効用等から構成されている。内容は「猫」からはじまり、狗(イヌ)・馬・牛の順序で、児童の生活に近いものから教材をあげている。教科書としての明確な意図を感じる。
23 小學生徒心得(しょうがくせいとこころえ) 橋爪貫一編 出版年不明 東京・贋金屋清吉板
本書は子どもに対してだけでなく大人に対しても教育の心得を説いている。子ども達が守るべき日常生活、学校生活での心得の他に、親としての心得、入学願書の書き方、学校で教わる教科の種類とその各教科内容、またそれぞれの級ごとの教育内容等についても述べている。随所に皇国思想的な色合いも見られる。見開きのところには、小学校への入学願書の書き方の見本が載っている。
24 小学生徒心得読本(しょうがくせいとこころえとくほん) 長崎県学務課編 明治15年(1882) 福岡 小山十郎翻刻
小学生徒心得には多くの種類があり、その内容も類似したものもあり、また著しく異なるものもあって一様でない。生徒の学校生活を中心として、日常生活の心得を説いたものである。文部省や東京府の作成したものを基準にし、当時各府県などにおいて、そのままの形で翻刻したもの、これを補って条項を増して編集したものなどがある。本書は明治14年1月に、長崎県が管下の小学校生徒に読本として使用させる目的で刊行したものである。幾つかの挿絵によって内容を説明してあり、当時の服装・遊び等がわかり、興味深い。
25 新撰小学生徒心得(しんせんしょうがくせいとこころえ) 高山直道著 明治18年(1885) [大津 (滋賀県)]・教育書房
小学初等科第6級第5級の子ども達を対象に、日常生活、学校生活における心得、礼儀作法等を説いたもの。親や教師を尊敬すること、同じ学校の生徒同士仲良くすること、戸の開閉は静かにすること、などが述べられている。 見開きの部分では、「学校に行く時、また帰宅した時には、必ず父母に声をかけること」「登下校の際には、犬をけしかけたり、田畑に入ったりして道草をくわないようにすること」と書かれてある。
26 泰西勧善訓蒙(たいせいかんぜんくんもう) 箕作麟祥 明治4年(1871) 愛知・名古屋学校蔵版
前編3冊、後篇8冊、続篇15冊からなるが、ここで取り上げたのは前篇3冊で、明治初期に普及した代表的な翻訳修身教科書である。なお後篇・続篇は明治13年8月30日文部省より地方学務局への通牒により採用すべからざる教科書として通告された。幼童のための教科書であって「専ラ解シ易キヲ主トセリ」と緒言に記されているが、児童の発達段階や学年に応ずる配慮が少なく、全篇を通じて抽象的な推論が多く程度が高いので、幼童に適するとはいえない。
27 通俗伊蘇普物語(つうぞくいそっぷものがたり) 巻之一~六 渡部温(無盡蔵書齋主人)譯述 [明治6年(1873)] (明治5-6年官許) 東京・山城屋佐兵衛[ほか] 渡部氏蔵梓
『AEsop's fables / by Thomas James(London : J. Murray, 1863)』の翻訳。「兎と亀の話」「風と日輪の話」ほか237話を収める。原本の挿絵をもとに描かれた河鍋暁斎、藤沢梅南、榊篁邨による豊富な口絵、挿絵があり、読んでも、見ても楽しめる内容になっている。イソップ物語は仮名草子『伊曾保物語』としてすでに紹介されていたが、明治の新訳として刊行された本書は好評をもって迎えられ、小学校の修身教科書としても用いられた。この本により〝イソップ〝という呼称が定着したとされる。開いた頁は「蟻ときりぎりすの話」。挿絵の頁は河鍋暁斎画「牧人と家牛の話」。
28 訓蒙勧懲雑話(くんもうかんちょうざつわ) 和田順吉譯;石橋好一訂 [明治8年(1875) 序] [出版地不明]・[出版者不明]
原著は仏人ドラパルムであって、特に児童を対象とする修身教科書として翻訳されたが、文も内容もきわめて程度が高い。全体としてきわめて非体系的な体裁にもかかわらず、キリスト教倫理を基調として、市民生活の具体的な場面に応じた教訓が盛り込まれている。明治初年の修身書は大部分が翻訳書で、旧来の東洋道徳にかわって、西洋の倫理・道徳が文明開化の潮流に乗って取り入れられている。
29 教女規範(きょうじょきはん) 西坂成一纂輯 明治6年(1873) 東京・出雲寺萬次郎(発兌) (山本良斎蔵梓)
見返しの書名『小学必読教女規範』。江戸時代の女子教訓書の流れを汲む修身教科書。当時、欧米の翻訳書が教科書として用いられることが多かったが、旧来の教訓書系統のものも使用されている。「父母に事(つかえ)るのこゝろえ」「舅姑に事(つかえ)るのこゝろえ」など幼儀十則と「不孝の戒め」「不賢の戒め」など幼儀十戒とからなる。同じ著者に同様の構成からなる男子用の修身教科書『訓蒙規範』(望月文庫所収)がある。見開きの部分は「幼儀十則 第五課 早起のこゝろえ」。「凡そ女子は早く起き遅く寝るを常とすべし…」と早く起きれば一日の家事が凡てうまく運ぶものと説いている。
30 開明女学のすゝめ(かいめいおんながくのすすめ) 小川持正著 深澤菱潭書 [出版年不明] 東京・萬笈閣
女性が幼い頃から一生に渡って心得ておくべき教えを記したもの。本文は江戸後期から明治にかけて活躍した書家、巻(深澤)菱潭の筆。見開きの部分は、本書の口絵。鮮やかな色刷りで書物や書の道具などが描かれている。添えられた文章は、「学へよや まなへよや たゝ学へよや まなひかひある 御代にあふ身は」と記されている。
31 小学女礼式訓解(しょうがくじょれいしきくんかい) 高橋文次郎編 明治15年(1882) 平城閣蔵版
女礼式に関する文献は明治時代には多く出されている。いずれも日本建築における作法であり、女子教育の極めて重要な部分を占めていた。小学校や女学校においては作法書が数多く出されていた。 本書は内容を大きく「起居進退」「物品薦撤」「陪侍周旋」「授受捧呈」「進餞程儀」「飯食程儀」と付録に分け、「起つ様」「座する様」等個々の作法を挿絵も用いながら説明している。 明治時代には本書のような作法上のルールが、子どものときから厳しく躾けられていた 。
32 教育女禮集(きょういくじょれいしゅう) 著者不明 明治28年(1895) 出版地不明・牧金之助
本書は、「春駒あそび」からはじまり、「吸物すひ様」「蝋燭の志ん切様」「うがひ手水」、「抹茶たてやう」「茶飲みやう」「行違ひの礼」「障子襖の開閉」「人の前を過る」「主客応接」「煙草盆扱ひ様」「硯すすめ様」「新年の御礼」までの14の作法が色刷りの絵を通して示されている。当時は本書と同様な内容の作法を錦絵によって具体的に示した冊子も多く出されていた。
33 画学照景法(ががくしょうけいほう) 小坂階起編 明治12年(1879) 山梨県師範学校蔵版
明治5年「学制」及び「小学教則」が公布されると同時に、小学校用の教科書として図画関係の教科書も発行された。その後各地に学校が開設され、教科書の不足を緩和するために文部省はその蔵版図書の中、学校用の部数に限って、地方長官において印刷発行することを許可した。其の中の一つでこれは山梨県版のものである。照景法は透視画法のこと。内容は図が主で説明は僅少である。
34 図画臨本(ずがりんぽん) 林盛太郎著 明治15年(1882) 東京・大野尭雲
前述の図画教科書の一つ。いろいろな版式で印刷してある。巻一は小学中等科用、巻ニ・三は小学高等科用である。緒言に「此科ハ専ラ眼手ノ練塾ヲ要スルモノナレバ・・・・・只一枝ノ鉛筆ヲ使用シ臨スヘシ」とあり全て図版だけである。
35 小學習字法 : 初等(しょうがくしゅうじほう) 卷菱潭編 明治17年(1884) 東京・阪上半七板
習字の指導法について述べたもの。小学校では先ず行草体から習わせる、授業中は常に注意深く席を巡視する、等の習字を教える際の心得が書かれてある。また、筆の持ち方、腕の置き方などを図で示しながら詳細に説明していたり、ハネや払いなど点画の書き方も丁寧に説明したりしている。 見開きの部分には、筆の持ち方、腕の置き方の図が掲載されている。
36 訓蒙農業往来(くんもうのうぎょうおうらい) 増補 橘慎一郎作 明治7年(1874)刊 [東京]・柴田清照蔵板
「夫、億兆之人民之衣食を国に充(みた)しむる其根原は農家なり…」と書き始め、潅漑を始めとする農業諸施設や地方関連語彙、明治5年7月の地租改正のあらまし、五穀・四木・三草等の農作物、畑作産物、山菜、薬用植物、果実、その他耕作全般・農具、さらに日本の国土、気候、府県制、国内各地の諸産業等について述べる。末尾は、信仰、法令遵守、質素倹約、六親和睦、家業出精などの心得を諭す。頭書に「日本国尽」「国郡を定る事」を載せる。
37 小学読本農学路志留遍 (しょうがくとくほんのうがくみちしるべ) 堤正勝著 明治12年(1879) [東京]・皆山閣蔵版
明治初年以降30年までの間に発行された農業教科書並びに各学校において用いられたと思われる農事関係参考書の一つ。 草の類(麻苧・藍・紅花等)・四木(茶・漆等)・野菜・果木・家畜について栽培・飼育方法などを説明している。展示箇所は「紅花」について。
38 農業小学(のうぎょうしょうがく) 上下 片山平三郎著 明治15年(1882) 東京・錦森閣蔵版
明治初年以降30年までの間に発行された農業教科書並びに各学校において用いられたと思われる農事関係参考書の一つ。明治の新政にとって農業の開発を図ることはもっとも急を要するものであり、官立の駒場・札幌の農学校などの教育施設が設立された。 本書の上巻末「農家植物問答」、下巻末「農家土質学問答」については、序文で「・・・巻末に其の問答を附し幼童の記憶に便ならしむ・・・・」と紹介している。
39 訓蒙話草(くんもうはなしぐさ) 巻之上 巻之下 福澤英之助訳 明治6年(1873) 出版地・出版者不明
本書は福澤英之助がイギリスに留学した際に入手した原書を翻訳したもの。子供に良い影響を与え成長の助けとすべきものは、日本に従来からある昔話ではなく、西洋のそれに求めるべきであるという考えに基づき、寝物語として子供に語り聞かせる書として編纂されている。本書の見返しには、母親が子供部屋で子供に物語する様子が描かれており、本書の意図を反映したものとなっている。見開きの部分は、「兎と亀の語」の一部分。本編の後に教訓が示されている。挿絵には、亀が先へ進む一方、兎が草むらで一休みする様子が描かれている。
40<御布告>違式カイ違図解(ごふこく いしきかいいずかい) 今江五郎 明治11年(1878) 名古屋・栗田東平刊
本書は明治5年(1872)司法省から発せられた「違式?違條例」を図解したもの。「違式?違條例」は警察が処罰する軽犯罪とその処罰方法を定めた条例。文明開化政策によって西洋文物の輸入や国際交流が活発化し、西洋人の来訪も増加したことから、国民の品位を高める目的があった。見開きの部分は「?違罪目」の一部。無分別に馬車を疾走させ、通行人に迷惑をかける(第五十五條)、馬車や人力車などを道に置いて通行を妨げる(第五十六條)、動物の死骸や汚物を道に捨てる(第五十七條)といった通行に関しての罪を掲げている。
41 幼稚園記(ようちえんき) 関信三訳 明治9年(1876) 東京女子師範学校 4冊
米国医生Douai, A氏がNew York師範学校で講じた幼稚園論を翻訳したもの。「此書ハ大幼稚園ニ於テ不可欠ノ諸般ノ要需ト・・・」のくだりに見るように、幼稚園に必要な幼児、保育室、保母、恩物(幼児のための遊具)についての説明と、幼稚園保育法に熟練した教師の指導とを記し、幼稚園実際家を養成するために作られた書である。当時としてはこの「幼稚園記」を熟読すれば、幼稚園の理論と実際とに通じて立派な保母となりうるとした。附録に幼稚園案内を抄訳してある。
42 太政官布告第214号(だじょうかんふこく) 明治5年(1872)
学制を公布するに当たりその教育理念を明示したものであり、新しく全国に学校を設立する主旨を述べ、また学校で学ぶ学問の意義を説いている。そこに示されている教育観・学問観は欧米の近代思想に基づく個人主義・実学主義の教育観、学問観である。また四民平等の立場から、学制は全国民を対象とする学校制度であることを強調している。文部省はこれを学制本文の前にそえて全国府県に頒布したので、当時はこれを「学制序文」とも呼んでいる。また結びの文に「右之通被仰出候」とあるところからのちに「被仰出書(おおせいだされしょ)」とも呼ばれるようになった。
43 学制(がくせい) 文部省 明治5年(1872)
明治5年8月に公布された学制は109章からなり、その内容は「大中小学区ノ事」、「学校ノ事」、「教員ノ事」、「生徒及試業ノ事」、「海外留学生規則ノ事」、「学費ノ事」の6項目によって構成されている。6年3月には学制二編として条文が追加され、「海外留学生規則」、「神官僧侶学校ノ事」、「学科卒業證書ノ事」が定められた。また同年4月には「貸費生規則」をはじめ、学校設立伺・開業願の書式、学士の称号などの条文を追加した。同月さらに学制二編追加として、専門学校および外国語学校に関する規則などを定め、その後も条文の追加があり、学制の全文は200章を越えている。
44 小学教則(しょうがくきょうそく) 文部省編 明治5年(1872)
文部省は学制発布の翌月、明治5年9月8日文部省布達番外をもって「小学教則」を公布し、小学校における教科課程および教授方法の基本方針を明らかにした。小学教則は、学制の規定した初等教育の大綱に基づいて上下二等の小学を各8級に分け、下等8級より上等1級に至る毎級の授業期間を6か月とし、毎週日曜日を除いて1日5時、1週30時の課程とし、学制に掲げた教科を各級に配当し、各教科で使用する教科書の基準を示してその程度を明らかにし、さらに教授方法の大要を示したのである。
45 下等小学教則(かとうしょうがくきょうそく) 改定版 文部省編 明治7年(1874) 東京師範学校
文部省は、小学校の教育課程をわが国の実情に即して編成するため、明治5年5月東京に創設された直轄の師範学校において、新しい小学教則の編成を行なわせ、師範学校独自の小学教則「下等小学教則」「上等小学教則」が編成された。この教則によると下等小学の教科は読物・算術・習字・書取・作文・問答・復読・体操の八教科であるが、その中心の教科は読物・算術・習字・問答であり、明治 5年に公布された文部省の小学教則とは教科の種類もその内容も全く異なったものであった。
46 学校廼志留遍(がっこうのしるべ) 土方幸勝著 明治8年(1875) 東京・青山清吉板
明治5年の学制制度下における教育制度について解説したもの。頭書の部分は漢字片仮名交じり文になっており、字体としても読みやすくなっている。具体的な内容としては、七大学区分のこと、小学、中学、大学それぞれにおける学校の設置基準数、教員の資格、生徒の修学年齢、学費等について書かれてある。 見開きの部分は全国の7大学区の区分図で、それぞれ区分ごとに分かりやすく色分けをしてある。
*理科掛図「第二博物図」(りかかけず・だいにはくぶつず) (複製) ぎょうせい 昭和52年(1977) 原本の出版事項: 文部省 明治6年(1873)
寺子屋の教育から明治の近代小学校になり、個別教授法から一斉教授法へという大改革がなされ、ここに新しく使用されるようになったのが、掛図である。この掛図は、教師がこれを鞭で指しながら生徒に質問するという一斉教授法にとっては無くてはならないものであった。 さて第二博物図は果実類と?果類のうち日常生活に用いられるもので、わが国に産するものについて掲げられている。
*家庭教育用錦絵(かていきょういくようにしきえ) (複製) ぎょうせい 昭和52年(1977) 原本の出版事項: 文部省 明治6年(1873)
文部省は明治6年以後子どもの家庭教育を助ける目的をもって、いろいろな錦絵を発行している。内容的には、(1)西洋器械発明者の紹介、(2)理科的教材、(3)教訓的・道徳的教材、(4)実用的教材に分類することができる。ここに掲げられた4種の錦絵は、この4つの領域のそれぞれの代表的なもので、(1)蒸気機関を発明したワットとやかん、(2)人体が水に浮くこと、(3)他の子どもたちが遊んでいるのに店の番をしながら手習いをしている子ども、(4)畳屋の職業を教えたもの、である。